岩倉使節団は何をした?目的と条約改正失敗の真相を徹底解説

岩倉使節団は何をした?目的と条約改正失敗の真相を徹底解説

岩倉使節団は何をした?目的と条約改正失敗の真相を徹底解説の背景について、分かりやすい解説を詳しくお届けします。

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使節団の出発当初、政府首脳陣には「自分たちが直接交渉すれば、条約改正の合意を取り付けられるのではないか」という甘い見通しがありました。しかし、最初の訪問国であるアメリカの首都ワシントンD.C.に到着した直後、日本側は冷酷な国際外交の洗礼を浴びることになります。

アメリカの国務長官ハミルトン・フィッシュは、岩倉らの提案に対して即座に根本的な欠陥を突きつけました。日本側が携えていた天皇の信任状には「条約改正の予備協議を行う権限」しか明記されておらず、正式な条約を締結するための「全権委任状」が含まれていなかったのです。国際法の手続き上、これでは国家間の正式交渉にすら入れないという初歩的な失態でした。

この事態に慌てた副使の大久保利通と伊藤博文は、委任状を取り直すために急遽日本へ一時帰国します。太平洋を往復するだけで数カ月を浪費する大失態となりました。さらに追い打ちをかけたのが、アメリカ側からの厳しい現実認識の提示でした。「日本には近代的な法典(民法・刑法)も、人権を保障する裁判所も、信仰の自由(キリスト教解禁)もない。そのような未成熟な国に対して、領事裁判権を撤廃できるわけがない」と一蹴されたのです。

この手痛い挫折により、岩倉らはアメリカでの条約締結を完全に断念しました。以降に訪れたイギリス、フランス、ドイツ、ロシアなどのヨーロッパ各国においても、条約の正式な改正交渉は一切行わず、「先進的な国情視察」へと方針を180度転換せざるを得なくなりました。外交交渉としては完全なる敗北でしたが、この手痛い失敗こそが「まず国内の法制化と近代化を成し遂げなければ対等な交渉は不可能である」という強烈な教訓を首脳陣に植え付ける結果となったのです。

橋本 菜々子
著者

橋本 菜々子

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。