テレビ露出が途絶えた時期に「三木道三は一発屋」というレッテルを貼られることが少なくありませんでした。しかし、この評価はジャパニーズレゲエのカルチャーと彼の活動実態を著しく見誤った誤解です。
もともとレゲエディージェイは、テレビなどのマスメディアではなく、サウンドシステムと呼ばれる現場のクラブや野外フェスでオーディエンスと直接対峙する現場主義を信条としています。三木道三自身も大ヒット以前から関西レゲエシーンの中心人物として数多くのアンセムを生み出しており、業界内ではすでに確固たるリスペクトを集めていました。
また、体調不良で自身の歌唱活動が制限されていた休止期間中も、他アーティストへの楽曲提供やプロデュースワーク、後進の育成に尽力していました。メディアの表舞台に出ない期間を「活動停止」と短絡的に結びつける世間の認識と、裏方でクリエイティブを継続していた現場の実態には決定的なギャップが存在していたのです。