銀幕でのアウトローぶりと並行して世間を賑わせたのが、数々の浮名を流した昭和のプレイボーイ伝説でした。当時の芸能ジャーナリズムや本人の自著『不良番長 辰の仁義』などによると、その豪快な私生活は現代の常識をはるかに超越していました。
銀座や六本木の高級クラブを連夜のように飲み歩き、当時のトップ女優やモデル、夜の街の女性たちと華やかなロマンスを繰り広げた梅宮辰夫 モテエピソードは枚挙にいとまがありません。「一晩で数百万円を豪快に使う」「高級外車を乗り回して街中の視線を独占する」といった逸話は、映画会社の宣伝戦略と相まって伝説化していきました。しかし梅宮さんのモテ方は、決して女性を雑に扱うものではなく、誰に対しても気前が良く紳士的で、嘘をつかない誠実さがあったからこそ愛されたのだと、当時のクラブ関係者や映画仲間は口を揃えて証言しています。
そんな華やかな独身生活に終止符を打ったのが、1972年の結婚でした。お相手は米国出身の元モデル、クラウディア・ビクトリア・ペンセさんです。クラウディア夫人 馴れ初めを検証すると、二人の出会いは銀座のサロンでした。梅宮さんがその洗練された美しさと飾らない明るさに一目惚れし、猛アタックの末に結ばれました。周囲からは「稀代のプレイボーイが本当に家庭に落ち着くのか」と危ぶむ声もありましたが、クラウディア夫人との出会いが梅宮さんの価値観を大きく変えることになります。
結婚直後の1974年には、睾丸腫瘍および肺への転移というステージIVのがんが発覚。当時としては生存率が極めて低い過酷な闘病を、献身的に支え続けたのがクラウディア夫人でした。この死線をさまよう体験を経て、梅宮さんは「これからは自分の命を家族のために使おう」と深く決意したと語っています。無頼派スターから家族を慈しむ大黒柱への変貌は、まさに命がけの夫婦愛が生み出したものでした。