村田和人の生涯と名曲の真実|「一本の音楽」誕生秘話と死因の真相

村田和人の生涯と名曲の真実|「一本の音楽」誕生秘話と死因の真相

村田和人の生涯と名曲の真実|「一本の音楽」誕生秘話と死因の真相の要点を詳しく解説してご紹介します。

村田和人の名を日本中に轟かせた最大の代表曲といえば、1983年3月25日にリリースされた3rdシングル「一本の音楽」です。作詞を安藤芳彦、作曲を村田和人、そして編曲・プロデュースを山下達郎が担当したこの楽曲は、日立マクセル(maxell)のカセットテープ「UD I」のテレビCMソングに起用され、カーステレオから流れる夏のアンセムとして爆発的な人気を博しました。

当時、すでにアマチュアコンテスト「EAST-WEST '77」などで高い評価を得ながらもプロデビューのきっかけを模索していた村田和人。そのデモテープを聴き、その規格外のポップセンスと伸びやかなハイトーンボイスに驚嘆したのが山下達郎でした。山下は「この才能は絶対に世に出すべきだ」と自らレコード会社へ推薦し、1982年のデビューアルバム『また明日』に続き、本作でも徹底的なサウンドメイクを施しました。

レコーディング現場では、山下達郎ならではの緻密なリズムセクションの構築と、何重にもレイヤーされた重厚なコーラスワークが追求されました。イントロのアコースティックギターのカッティングから一気に広がるドライブ感、そしてサビで突き抜ける村田のボーカルは、当時のスタジオ技術の粋を集めた「80年代ジャパニーズ・ポップスの最高峰」と評されています。

山口 彩花
著者

山口 彩花

グルメと旅を愛するフリーライター。全国各地の隠れた魅力を独自の視点から紹介します。