このシーンの劇的な深みは、ゾロとサンジという「両翼」の対比によって極限まで高められます。実は、ゾロがくまに命の身代わりを申し出た直後、同じく満身創痍のサンジが意識を取り戻し、割って入っていました。
サンジはゾロを押しのけ、「てめェが死んでどうすんだよ…!! お前の野望はどうしたバカ…」「おれを殺せ!!」と、くまに対して自らの命を要求したのです。サンジもまた、自己の夢(オールブルー)を捨てて一味を救おうとしていました。しかしゾロは、サンジの腹部へ刀の鞘を容赦なく叩き込み、彼を気絶させて強制排除します。仲間に自分の代わりを背負わせることを断固として拒絶したのです。
やがて朝を迎え、目を覚ましたサンジは真っ先に周囲を見渡し、ゾロの姿がないことに気づきます。胸騒ぎを覚えて駆けつけたサンジが目にした光景は、戦慄すべきものでした。
大地には直径数メートルに及ぶ血溜まりが広がり、その中心に、シャツを引き裂かれ全身から鮮血を滴らせたゾロが立っていました。腕を組み、仁王立ちのまま呼吸すら浅くなっている相棒に対し、サンジは震える声で問いかけます。
「おい…!! 無事なのかお前…!! 一体何があった…!? その血はどこから出たんだよ…!! あいつはどこへ行った…!?」
その問いに対するゾロの返答こそが、この台詞でした。
「……なにも…!!! なかった…!!!!」
なぜゾロは真実を隠したのか。ここには、精神分析や対人関係論における「心理的バウンダリー(境界線)」の厳格な保持が読み取れます。もし真実を口にすれば、目を覚ましたルフィは「自分のせいで副船長が死にかけた」という計り知れない罪悪感を一生背負うことになります。他の仲間たちもまた、自分たちが無力だったせいでゾロ一人に地獄を押し付けたという自責の念に苛まれるでしょう。
ゾロは、自分が下した選択の責任と代償を、他者に1ミリも分け与えることを潔しとしませんでした。痛みを背負ったのは自らの誇りと覚悟によるものであり、他者からの同情や感謝という「精神的見返り」を一切排除したのです。その冷徹なまでの自己完結性こそが、この一言の凄みとなっています。
そしてサンジの対応もまた傑出していました。サンジはゾロの凄惨な状態から何が起きたのかを察知し、深く追及することを即座にやめました。さらに直後、事件の一部始終を目撃していたローリング海賊団のリスク兄弟がルフィに真相を告げようとした際、サンジは激怒して彼らの口を塞ぎます。「あいつが命を張って守ったものを無駄にするな」と、ゾロの矜持を完璧に尊重したのです。