Q1:北条時行が処刑された場所と正確な命日はいつですか?
A1:1353年(正平8年/文和2年)5月20日、現在の神奈川県藤沢市片瀬に位置する「龍ノ口刑場」で処刑されました。同地は日蓮聖人がかつて法難を逃れた場所としても有名であり、中世鎌倉における幕府・武家政権の公式な処刑地でした。
Q2:『逃げ若』に登場する諏訪頼重との絆は、史実でも実在したのですか?
A2:はい、歴史的事実です。『鶴岡社務記録』や『梅松論』などの記録にも、鎌倉滅亡後に時行を保護し、中先代の乱を首謀して鎌倉を奪還させた最大の支援者として諏訪頼重の名が刻まれています。頼重は鎌倉奪還後に足利尊氏の軍勢を迎撃し、敗北が目前に迫った段階で自害して時行を再び逃避させました。
Q3:時行と足利尊氏は、直接戦場で対峙したのでしょうか?
A3:時行自身が直接戦火を交えた記録が複数残されています。1335年の中先代の乱の終盤において尊氏自らが率いる東征軍に敗退したほか、1338年の青野原の戦いや、1352年の武蔵野合戦など、南朝を背負った主力将官として足利尊氏・直義勢力と激突しています。
Q4:北条時行の子孫は現代まで血筋が続いているのですか?
A4:幕府の公的家図の上では滅亡扱いとなっていますが、愛知県に本拠を置いた尾張・横井氏が時行の末裔を明確に名乗っています。横井氏は江戸時代に熊本藩士などを輩出し、幕末の碩学・横井小楠がその直系として全国に名を轟かせました。血統としての確実なDNA照合は叶わないものの、家系図と地域の古記録には時行の子孫であることが綿々と記されています。