一時代を築いたPL学園野球部がなぜ表舞台から姿を消すことになったのか。その要因には、学園内の環境変化と指導体制の問題が複合的に絡み合っています。
過去に発生した部内暴力などの不祥事によって複数回の対外試合禁止処分を受けたことや、全寮制の中で受け継がれてきた過度な上下関係が時代とともに社会的な批判を浴びるようになりました。さらに、2000年代以降は学校自体の少子化や母体である宗教法人の信者数減少に伴い、学園全体の規模縮小が進みました。
専任の監督不在が続いた末、学園側は2015年に対外的な新入部員の募集停止を発表。そして2016年7月、第98回全国高校野球選手権大阪大会の敗戦をもって、部員12名で戦い抜いたPL学園野球部は長い歴史に一旦ピリオドを打ち、休部(事実上の活動停止)となりました。
気になる「野球部復活の可能性」について、OB会を中心に復部を求める署名活動や支援の動きが継続的に行われてきました。しかし、高野連への再加盟手続き、学校運営の基本方針、専任指導者の確保、受け入れ施設の整備など、クリアすべきハードルは決して低くありません。それでもなお、高校野球ファンや球界関係者からは「いつの日か、あの胸に『PL』の白文字が入ったユニフォームを甲子園で見たい」という熱い願いが寄せられ続けています。