洋食だと思っていたあの人気メニューも実は日本発祥なのか――この疑問に対する答えは、紛れもなく「YES」である。街のレストランや喫茶店で親しまれている料理の数々は、欧米の現地に行っても同名の料理が存在しないか、あるいはまったく異なる姿をしているケースが珍しくない。ここでは、海外生まれと勘違いされやすい代表的な和製洋食の歴史と真相を検証する。
まず筆頭に挙げられるのがナポリタン発祥の地として名高い横浜の「ホテルニューグランド」である。第二次世界大戦後、米軍に接収されていた同ホテルにおいて、進駐軍の兵士たちが茹でたスパゲッティに塩コショウとケチャップを和えて簡易食としていた光景を、第2代総料理長の入江茂忠氏が目撃した。ホテル関係者の記録によると、入江氏は「一流ホテルの料理として、進駐軍の粗野な食べ方をそのまま出すわけにはいかない」と一念発起し、ニンニク、タマネギ、マッシュルーム、トマトペースト、生のトマトをじっくり煮込んだ特製トマトソースを開発。生麺ではなくあえて一晩寝かせたモチモチの太麺パスタを合わせることで、格式あるホテルの一皿へと昇華させた。これが今日のスパゲッティ・ナポリタンの原点である。後に全国の純喫茶が手軽なトマトケチャップで代用したことで、庶民的な味として爆発的に普及した。
次に、クリーミーなグラタン風ライス料理として誰もが西洋発祥と疑わないドリア誕生の経緯も、同じく横浜の地にある。1930年代初頭、ホテルニューグランドの初代総料理長を務めていたスイス人シェフ、サリー・ワイル氏のもとに、体調を崩したスイス人銀行員から「何かのど越しの良い、消化に良い特別な料理を作ってほしい」という要望が入った。ワイル氏は即座に厨房に立ち、バターライスの上に小エビのクリーム煮(シュリンプ・コキール)を載せ、ベシャメルソースとチーズをたっぷりかけてオーブンで焼き上げた。この即興料理が絶賛され、フランスの貴族「ドリア家」に敬意を表して「Shrimp Doria(シュリンプ・ドリア)」と命名されたのが始まりである。本国ヨーロッパには米とホワイトソースをオーブンで焼き上げる料理は存在せず、ワイル氏が日本で生み出した完全なオリジナル料理である。
そして、子どもから大人まで愛されるオムライス元祖の店を巡っては、東京と大阪の二大名店が歴史的な転換点を担っている。1895年創業の東京・銀座「煉瓦亭」では、1900年(明治33年)頃、多忙を極める厨房の料理人が片手で手早く食べられる賄い飯として、ライスに溶き卵と具材を混ぜてフライパンで焼いた「ライスオムレツ」を考案した。これが客の目に留まり、メニュー化されたのが東のルーツである。一方、大阪・心斎橋の「北極星」(旧店名:パンヤの食堂)では1925年(大正14年)、創業者の木田津茂男氏が、いつも胃腸の不調を訴えてオムレツと白飯ばかりを注文していた常連客の雨具商・小口氏を気遣い、「いつも同じでは可哀想だ」とケチャップライスを薄焼き卵でふんわり包んだ料理を提供した。客が「これは何という料理だ」と尋ねた際、木田氏が「オムレツとライスを合わせたオムライスです」と即答した逸話が社史に刻まれている。いずれの誕生劇にも、客への細やかな思いやりが深く息づいている。