もともと日本全国で松の内は1月15日までとされていた。では、なぜ関東と関西でこれほど大きなズレが生じたのだろうか。歴史を紐解くと、江戸時代幕府が出した幕府のお触れに行き着く。
明暦3年(1657年)に起きた「明暦の大火」をはじめ、木造建築が密集する江戸の町は度重なる大火災に見舞われた。乾燥する冬場、街じゅうの玄関先に燃えやすい松や竹を長期間立てておくことは、防災上極めて危険だったのだ。そこで江戸幕府は「松の内は1月7日までとし、8日には門松を収めよ」という通知を出した。この江戸中心の命令が東日本へ広まる一方、幕府の影響が比較的緩やかだった関西圏には1月15日までの伝統がそのまま残ったというわけだ。