石田徹也が息を引き取ったのは、2005年5月23日のことでした。場所は東京都町田市内にある小田急線の踏切。遮断機が下りた踏切内に進入したところで電車にはねられ、頭部を強打して即死状態だったと報じられています。享年31。画家として独自の画風を確立し、まさにこれから国際的な舞台へと飛躍しようとしていた矢先の出来事でした。
事故直後から現在に至るまで、美術ファンの間では「自ら命を絶ったのではないか」という自殺説の真相をめぐる議論が後を絶ちません。その最大の要因は、彼が遺した絵画作品が放つあまりに濃密な苦悩と死の気配にあります。日常に摩耗し、社会機構の歯車として消費される人間を描き続けた作風から、「精神的に追い詰められていたのではないか」と推測する声が噴出したのです。
しかし、警察の検視において遺書は一切発見されておらず、公式な死因は事故死と結論づけられています。当時の知人や関係者の証言によると、直前の石田は次期展覧会に向けた構想を熱心に語っており、創作意欲は極めて旺盛でした。日常的な不注意による不慮の事故だったのか、あるいは制作の極限状態で精神のバランスを崩していたのか。決定的な真相は本人の胸の内に秘められたままですが、事実として確認されているのは痛ましい鉄道事故であったという一点です。