天正元年の秋風が吹き抜ける美濃・今須の宿場町。そこに引き据えられた少年の姿を、当時の記録は痛切に伝える。信長の命を受け、処刑を執行したのは他ならぬ羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)だった。
執行された刑罰は「磔(はりつけ)」あるいは「串刺し」。戦国期の武士階級に対する処刑としても異例の惨虐さだ。通常、武家の男子であれば切腹や斬首によって名誉を守るのが慣例である。しかし、信長が求めたのは浅井の血に対する徹底的な見せしめと呪詛だった。
なぜここまで過酷な刑が選ばれたのか。義弟であった浅井長政に背後を突かれた金ヶ崎の退き口以降、信長が抱き続けた復讐心は常軌を逸していた。名門・浅井家の後継者をこの世から完全に抹殺し、再起の芽を粉々に打ち砕く。少年の叫び声は街道の露と消え、近江の名家はここに事実上の断絶を迎えた。