火垂るの墓はなぜ地上波から消えた?封印の真相と実話の衝撃を徹底追究

火垂るの墓はなぜ地上波から消えた?封印の真相と実話の衝撃を徹底追究

火垂るの墓はなぜ地上波から消えた?封印の真相と実話の衝撃を徹底追究についての疑問解決ガイドをお届けします。

映画『火垂るの墓』に打ちのめされる最大の理由は、作品全体を覆う生々しい死の気配です。しかし、直木賞を受賞した野坂昭如氏の自伝的短編小説、そして氏が生前遺した手記を紐解くと、映画以上の残酷な現実が突きつけられます。

原作者の野坂氏は、1945年の神戸大空襲で養父を亡くし、当時わずか1歳4カ月だった義理の妹・恵子さん(小説中の節子のモデル)を連れて兵庫県西宮や福井県へ疎開しました。当時14歳だった野坂少年は、映画の清太のように優しく妹に寄り添い続けることなどできませんでした。自著『アドリブ自叙伝』や数々の手記において、野坂氏は自らの醜い本能を赤裸々に告白しています。

「飢えに耐えかね、妹に与えるべきわずかな乾パンや粥を、自分が我慢できずに横取りして食べてしまった」
「空腹で夜通し泣き叫び続ける幼い妹の頭を、うるささに耐えかねて拳で力任せに殴りつけて黙らせた」

やがて妹は骨と皮ばかりに痩せ衰え、終戦直後に福井の疎開先で餓死しました。骨壺に入った小さな白い骨を抱えたとき、野坂少年の胸に焼き付いたのは「自分が妹を殺した」という狂おしい罪悪感でした。『火垂るの墓』という小説は、美談などではなく、自分自身が生き延びるために幼い妹を犠牲にした男の、生涯消えることのない血を吐くような贖罪状だったのです。

映画化の際、高畑勲監督は清太を「妹思いの優しい少年」として脚色しました。野坂氏は完成したアニメーションの試写を観た際、あまりの辛さに涙を流し、「ぼくはあんなに優しい兄貴ではなかった。小説に書くことで過去を美化しようとした自分自身を、高畑監督の映像は容赦なく見透かしているようだった」と吐露しています。

なお、1988年4月16日の劇場公開時、本作は宮崎駿監督の『となりのトトロ』と2本立てで同時上映されるという、アニメーション史上に残る異常な興行形態をとりました。心温まるファンタジー『トトロ』を楽しみに劇場へ足を運んだ親子連れが、続いて上映された『火垂るの墓』の凄惨な結末に息を呑み、場内が子供の泣き叫ぶ声と重苦しい静寂に包まれたという逸話は、映画界の伝説として今なお語り継がれています。

小林 直樹
著者

小林 直樹

シンプルで洗練された住まいづくりとインテリアコーディネートのアイデアを提案しています。