「どて焼き」という独特な名称の由来には、昭和初期の屋台文化における極めて合理的な調理技術が刻まれています。大正末期から昭和の初頭にかけて、大阪の露店や屋台で考案されたこの料理は、丸い鉄板の中央を空け、縁(ふち)に沿って味噌で「土手」を築いたことからその名がつきました。
当時の屋台主たちは、中央の窪みで牛の端肉やスジ肉をだし汁で煎り焼きにしつつ、熱で溶け出した味噌の土手を少しずつ崩して肉に絡め、煮詰めていきました。この「土手を崩しながら煮焼きにする」独特の手法が、やがて料理名そのものとして定着したと日本食文化研究の記録にも残されています。
ここで着目すべきは、なぜ主たる食材が「牛すじ」だったのかという点です。関東をはじめとする東日本が豚肉文化圏であったのに対し、関西は近江や丹波、但馬といった一大和牛生産地を背後に控えた根強い牛肉文化圏でした。当時、正肉(上質な精肉)は庶民の手には届かない高級品でしたが、屠畜の過程で大量に出るアキレス腱やスジ肉(メンブレンや赤身スジ)は、硬くて筋張っているため廃棄同然の安価な部位でした。この強靭なコラーゲン線維を長時間じっくり煮込み、とろけるような極上の食感へと昇華させた庶民の知恵こそが、どて焼きの原点です。