宮内庁が厳格に管理する陵墓は、原則として一般人の立ち入りや学術発掘が禁じられてきました。しかし、適切な保全と歴史的価値の解明を目的として、宮内庁と堺市による共同発掘調査が段階的に実施され、これまでの常識を塗り替える新事実が明らかになっています。
最も注目を集めた調査の一つが、墳丘を囲む「第1堤(一番内側の堤)」の発掘です。トレンチ(試掘溝)の調査により、堤の上から整然と並べられた円筒埴輪列が発見されました。出土した埴輪の様式や製作技法を詳細に解析した結果、5世紀中葉の特定の時期に集中して生産されたものであることが裏付けられました。
さらに、堤の外縁部には丁寧な石敷き構造が存在していたことも確認されました。これは単なる土の山ではなく、波浪による堤の侵食を防ぐ高度な土木護岸技術が施されていたことを物語っています。かつて明治5年(1872年)に前方部の墳頂で崩土が発生した際、長持形石棺とともに甲冑や刀剣、ガラス製杯などが出土した記録(現在はボストン美術館所蔵の関連資料も存在)がありますが、近年の調査はそれら断片的な過去の記録を科学的に補強する貴重な成果となっています。
宮内庁と地元自治体が連携した地道な発掘と非破壊探査(地中レーダー等)の進展により、「不可侵の聖域」のベールが少しずつ剥がされ、東アジア屈指の巨大国家プロジェクトの実態がリアルに解明されつつあります。