胸の中心にあるはずの心臓の虚血(酸素不足)が、なぜ離れた左肩や背中の激痛として知覚されるのか。その背景には、人体の神経構造に起因する「放散痛(関連痛)」と呼ばれる神経生理学的なメカニズムが存在します。
心臓を取り巻く冠動脈が血栓によって閉塞すると、心筋細胞が酸欠に陥り、ブラジキニンやアデノシンなどの発痛物質が大量に放出されます。この強烈な痛覚シグナルは内臓感覚神経(交感神経求心線維)を通り、頸髄から上部胸髄(およそC3〜T5レベル)の脊髄後角へと伝達されます。問題は、この脊髄レベルが「左肩、左腕、背中、首、顎」の知覚を司る体性感覚神経のルートと全く同じ場所に合流している点です。
通常、内臓からの痛覚入力を受け取る機会は皮膚や筋肉に比べて圧倒的に稀です。そのため、心臓からの強烈なSOS信号が脊髄に飛び込んできた際、大脳皮質は「普段からよく刺激を受け取っている左肩や左腕から強い痛みが生じている」と錯覚して誤認処理を下してしまいます。これが、心臓病でありながら肩ばかりが猛烈に痛む生化学的・神経解剖学的な真相です。心臓が胸郭のやや左寄りに位置し、交感神経幹の左側成分に強いシグナルが流れるため、右側よりも圧倒的に「左肩や左腕の内側」に症状が偏重して現れます。