「なすそば」という名称から受ける和風のイメージと、実物の凶暴なまでのビジュアル。この鮮やかなギャップのルーツは、昭和の時代に清水港の活気とともに栄えた中華料理店「一元 本店」にあります。当時、清水の中心市街地で腕を振るっていた創業店主が、手に入りやすい旬の茄子を中華の強火と油で素早く活かし、労働者たちの胃袋を満たすために考案したまかない料理が原型とされています。
なぜ「中華そば」ではなく「なすそば」と呼ばれ定着したのか。かつての日本では、大衆食堂や町中華においてラーメン全般を「支那そば」や単に「そば」と呼称する文化が根強く残っていました。港湾労働や製紙工場、造船業で汗を流す清水の男たちにとって、塩分と糖分、そしてニンニクと唐辛子の刺激を一気に補給できるこの一杯は、まさに活力の源源泉でした。丼を満たす濃厚な餡はスープの熱を一切逃がさず、過酷な現場仕事を終えた職人たちの冷えた体を芯から温めたのです。
その後、本店の評判を聞きつけた弟子たちが独立し、清水区内外に「一元」の看板を掲げて暖簾分けを展開していきました。惜しまれつつ歴史に幕を下ろした本店亡き後も、その門下生たちが味を守り、あるいは独自の進化を遂げさせたことで、単なる一店舗の看板メニューから「静岡市清水区のソウルフード」という地域全体の食文化へと昇華していきました。