「山」と振られたら「川」と返す問答は、日本人の共通認識とも呼べる文化ですが、これが庶民の間に爆発的に浸透した最大のきっかけは『忠臣蔵(元禄赤穂事件)』の創作描写にあります。
歌舞伎や講談の名作『仮名手本忠臣蔵』では、赤穂浪士四十七士が吉良邸へ討ち入る際、暗闇の中で敵味方を識別するための合言葉として「山」と問い「川」と答える緊迫したシーンが描かれます。この劇的な演出が民衆の心を掴み、昭和から平成にかけての映画やテレビドラマを通じて「合言葉といえば山と川」というイメージが不動のものとなりました。
しかし、当時の記録や史料を紐解くと、実際の討ち入りで使われた合言葉は「山・川」ではなく、別の符牒(ふちょう)だったという説が有力です。史実の討ち入りでは、隊士同士の識別に「み」と問い「やま」と返す合言葉や、羽織の合印が用いられたと記録されています。
では、「山と川」の組み合わせはどこから生まれたのでしょうか。その原型は戦国時代の軍事暗号にあります。夜襲や混戦において敵味方を瞬時に見分けるため、武田軍や上杉軍をはじめとする戦国大名や忍びの集団は、対になる分かりやすい言葉を日替わりの合言葉(問答合言葉)として採用していました。自然界の代表格であり、誰もが一瞬で発音できる単語として「山」と「川」は重宝され、軍学書や武術の伝書を経て江戸時代の芝居へと取り入れられていった経緯があります。