彼の原点を語る上で欠かせないのが、PL学園高等学校時代に築き上げた空前絶後の実績だ。同校の黄金期を支えた清原和博氏との「KKコンビ」は、甲子園の歴史にその名を刻み、高校野球ファンを熱狂の渦に巻き込んだ。圧倒的な制球力と勝負強さを武器に甲子園通算20勝を挙げた投球術は、すでに高校生の領域を遥かに超えていた。
ドラフトを経て読売ジャイアンツへ入団した後も、王道の先発エースとして絶対的な存在感を誇った。そして三十代半ばを過ぎてからのピッツバーグ・パイレーツへの移籍は、周囲を驚かせた。日本プロ野球での輝かしい実績に安住することなく、メジャーリーグベースボールの過酷なマウンドに挑んだ姿勢は、まさにチャレンジャーそのものだったと言える。