藤沢武夫は1910年(明治43年)に東京・小石川で生まれました。父の実業の失敗や関東大震災による家計の困窮から、高等小学校卒業後は独学で学びながら筆記具販売や切削工具会社「三成商会」で営業手腕を磨きます。技術者ではなく、徹底した現場叩き上げのビジネスマンとしてキャリアを築いていました。
二人の運命が交錯したのは1949年(昭和24年)8月。知人の紹介で東京・お茶の水の日本料理店にて初めて対面した際、本田宗一郎は42歳、藤沢武夫は38歳でした。初対面で宗一郎の技術に対する情熱と器の大きさに直感的な確信を得た藤沢は、その日のうちに「私はあなたと組む。金は私がすべて工面するから、あなたは思う存分良い技術を作ってほしい」と申し出ます。
同年10月、藤沢は本田技研工業に常務取締役として参画。当時資本金100万円、従業員20名足らずのオートバイ部品工場に過ぎなかったホンダの経営を一手に引き受けることになりました。この瞬間、日本の産業史に残る奇跡の双頭体制が幕を開けたのです。