生類憐れみの令に関して最も広く流布している「蚊を叩いて潰しただけで死刑や島流しになった」という話は、後世の創作や講談が広めた完全な嘘です。江戸幕府の公式記録である『徳川実紀』や、当時の裁判記録である『御仕置例類集』を精査しても、蚊やハエを殺して処罰された事例は一件たりとも確認されていません。
当時の尾張藩士・朝日文左衛門が私生活や世間の噂を赤裸々に書き残した日記『鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)』などを検証すると、現場の役人や町奉行所は極めて現実的な法運用を行っていたことがわかります。約24年間の運用期間中、生類憐れみの令違反で処罰されたのは判明している限り幕臣・庶民を合わせて全国で69件に過ぎません。
実際に厳しい処罰(死刑や遠島)を受けたケースは、幕府の権威を公然と否定して犬肉を密売した者や、禁止令が出ていることを知りながら故意に犬や馬を大量惨殺した確信犯など、法秩序そのものを著しく乱した重罪人に限られていました。一般市民の過失に対しては、大半が「お説教(お叱り)」や「過料(罰金)」、軽微な「押込(謹慎)」で処理されていたのが実情です。