あの日、世界が目撃したのは現実の出来事とは到底信じ難い破壊の光景でした。事件発生から南北両タワーの崩壊に至るまでのわずか102分間、現場ではどのような事態が進行していたのでしょうか。航空管制記録、生存者の証言、消防無線の交信ログに基づき、運命のタイムラインを追体験します。
惨劇の幕開けは、午前8時46分。ボストン発ロサンゼルス行きのアメリカン航空11便が、時速約750kmの猛スピードで世界貿易センター(WTC)北棟(1号棟)の93階から99階付近へ直接激突しました。ビル内部の非常階段やエレベーターシャフトは瞬時に破壊され、衝突フロアより上層にいた数百人の人々は脱出ルートを完全に断たれました。
当初、多くのメディアや市民は「小型飛行機による痛ましい誤爆事故」と認識していました。しかし、その甘い見立てはわずか17分後に無残にも打ち砕かれます。午前9時03分、世界中のテレビカメラが生中継で見守る中、同じくボストン発のユナイテッド航空175便が南棟(2号棟)の77階から85階付近へ突進、巨大な火炎球とともに突き刺さったのです。この瞬間、全世界が事態の本質を悟りました。事故ではなく、国家への宣戦布告とも言える組織的攻撃であると。
攻撃はマンハッタンだけに留まりませんでした。午前9時37分、ワシントン・ダレス国際空港発のアメリカン航空77便が、首都ワシントン近郊にある米国防総省本庁舎(ペンタゴン)の西側に激突。軍事大国の心臓部が黒煙に包まれました。さらに午前10時03分、ニュージャージー州ニューアーク発のユナイテッド航空93便がペンシルベニア州シャンクスビルの平原地帯に墜落します。この便では、機内電話を通じて他の攻撃を知った乗客乗員たちが「Let's roll(さあ、やろうぜ)」の合言葉とともにテロリストへ果敢に立ち向かい、本来の標的(米連邦議会議事堂またはホワイトハウスと推測される)への突入を阻止しました。
一方、マンハッタンでは想像を絶する構造破壊が進行していました。激突の衝撃そのものに加え、満載されていたジェット燃料が引き起こした1,000度を超える猛烈な火災が、建物を支える頑強な鉄骨の耐力を奪っていったのです。午前9時59分、激突からわずか56分で南棟が轟音とともに崩落。そして午前10時28分、激突から102分が経過した北棟が垂直に崩れ落ち、ロウアー・マンハッタン一帯は視界数センチの濃密な粉塵と瓦礫の嵐に呑み込まれました。