折檻という言葉は、中国の歴史書『漢書』朱雲伝(しゅうんでん)に記された「朱雲 折檻(しゅうん せっかん)」の故事成語が由来となっています。
時は紀元前1世紀、前漢の成帝の時代。剛直な性格で知られた学者・官僚の朱雲は、帝の側近であり民を苦しめていた奸臣・張禹(ちょうう)を厳しく処刑するよう帝に直言しました。しかし、寵愛する側近を侮辱された成帝は激怒し、即座に朱雲を捕らえて処刑するよう警護兵に命じます。
兵士たちに無理やり引きずり出されそうになった朱雲は、宮殿の「檻(らんかん・手すり)」に必死にしがみつき、抵抗のあまりその手すりをへし折ってしまいました。朱雲は引きずられながらも「私は忠義のために死ぬのだから本望だが、国家の将来はどうなるのか!」と命がけで叫び続けたのです。これを見た別の重臣が身を挺して朱雲をかばい、成帝も自らの過ちに気づいて朱雲を許しました。後に宮殿を修復する際、成帝は「忠臣の諫言を忘れないように」と、折れた檻をあえて修理させずに残したと伝えられています。
この劇的なエピソードから、元々は「臣下が君主の過ちを命がけで厳しく諫めること」を折檻と呼ぶようになりました。これが日本に伝来した後、時代を経て「目上が目下の過ちを厳しく責め立てる」「体罰を伴う厳しいお仕置き」へと、上下関係の向きが逆転して定着していったのです。