油小路の変で命を落とした伊東甲子太郎、藤堂平助、服部武雄、毛内有平の遺骸は、事件後に一度は光縁寺に仮埋葬されたものの、明治維新後の慶応4年(1868年)、御陵衛士の生き残りである鈴木三樹三郎らの手によって、皇室ゆかりの名刹である京都・泉涌寺塔頭の戒光寺(かいこうじ)に改葬されました。
戒光寺の境内には現在も「御陵衛士四士の墓」が整然と立ち並び、幕末の動乱に散った志士たちを今に伝えています。新選組ファンのみならず、激動の時代に己の信念を貫いた知識人としての伊東を偲び、多くの参拝者が足を運ぶ聖地となっています。
長年、司馬遼太郎の『燃えよ剣』や『新選組血風録』といった大衆小説の影響により、伊東甲子太郎は「気位が高く陰湿な野心家」「近藤・土方の絆を裂こうとした裏切り者」というステレオタイプな悪役として描かれがちでした。しかし、近年の幕末政治史の研究においては、朝廷・幕府・諸藩のパワーバランスを客観的に見極め、武力衝突を回避しつつ近代国家への移行を目指した「極めて高度な先見性を持った政治思想家」としての再評価が定着しています。