清原正吾氏の経歴を語る上で欠かせないのが、他のアスリートには類を見ない異色のキャリアパスです。慶應義塾幼稚舎から慶應義塾普通部に進んだ中学時代はバレーボール部、慶應義塾高校ではアメリカンフットボール部に所属しており、実に6年間もの間、野球の公式戦から離れていました。
大学進学時に体育会野球部の門を叩いた動機について、本人は過去の特番インタビューなどで「苦境にあった父を勇気づけたかった」と明かしています。ボールの握り方や木製バットの扱いに戸惑いながらも、人並み外れた努力を重ね、大学4年時には名門・慶応大学の4番ファーストに定着。東京六大学リーグ戦でベストナインを獲得するまでの打者に登り詰めました。
迎えた2024年10月のプロ野球ドラフト会議では、NPB複数球団から調査書が届いていたものの、支配下・育成を含めて名前が呼ばれることはありませんでした。指名漏れの背景には、スカウト陣による以下のシビアな評価が存在していました。
- 実戦経験の絶対的な不足:高校3年間の実戦経験がなく、大学でもレギュラーとして活躍したのは実質的にラスト1年のみ。
- 守備位置の限定性:守備位置が一塁手に限られており、プロの一軍枠で求められる内外野のユーティリティ性に欠けていた点。
- 打撃の確実性:長打力は折り紙付きである一方、プロの鋭い変化球への対応力に対する見極めが慎重に行われたこと。
こうした構造的な要因があったものの、空白期間を埋めて六大学の頂点近くまで駆け上がったポテンシャルは、球界関係者からも惜しみない称賛を集めました。