国宝犬山城の歴史と個人所有の謎!信長激闘の地が誇る現存最古級の真実

国宝犬山城の歴史と個人所有の謎!信長激闘の地が誇る現存最古級の真実

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犬山城が日本の城郭史上、極めて特異な存在として語られる最大の理由が、平成の半ばまで続いた「個人所有」の歴史です。なぜ公の文化遺産であるはずの国宝が、一個人の持ち物となっていたのでしょうか。

きっかけは明治維新に伴う廃城令(1873年)でした。犬山城も廃城となり、二の丸や三の丸の櫓・城門は次々と取り壊され、天守のみが奇跡的に破却を免れました。しかし、最大の試練は明治24(1891)年の濃尾地震でした。マグニチュード8.0と推定される激震により、天守は東南角の石垣が崩壊し、付櫓や望楼階が半壊する甚大な被害を受けます。

莫大な修復費を前に財政難の愛知県が苦慮する中、救いの手を差し伸べたのが旧城主の成瀬家でした。明治28(1895)年、愛知県は「天守を私財で修復・保存すること」を条件に、成瀬家第9代当主・成瀬正肥(まさみつ)氏へ天守および城郭敷地を無償で払い下げ(譲渡)ました。成瀬家は旧臣や町民と協力しながら私財を投じて大修復を完遂。日本で唯一となる「個人所有の城」が誕生した瞬間でした。

昭和27(1952)年に文化財保護法に基づく新国宝に指定された後も、成瀬家歴代当主は巨額の固定資産税、定期的な維持補修費、防災設備の管理といった重責を一身に背負い続けました。昭和の大修理(1961〜1965年)など公的補助金が入る場面はあったものの、日常の維持管理は成瀬家の献身的な努力によって支えられていたのです。

転換点を迎えたのは平成16(2004)年4月のことでした。個人の維持管理による財政的限界や、相続に伴う文化財散逸のリスクを回避するため、成瀬家第13代当主・成瀬淳子氏を初代理事長とする「公益財団法人 犬山城白帝文庫」が設立されました。城郭建物および成瀬家伝来の刀剣・古文書などの貴重な美術工芸品はすべて同法人へと無償寄付され、所有権が移行。実際の管理・運営は犬山市が受託・連携する体制が整いました。こうして、1世紀以上にわたる個人所有の物語は、未来へ向けた恒久的な保存モデルへと昇華したのです。

阿部 裕樹
著者

阿部 裕樹

マネー知識やキャリア形成に役立つノウハウを、初心者にも分かりやすく解説するのが得意です。