ロッキード事件の発覚直後、世間を震撼させる前代未聞のテロ事件が発生します。1976年3月23日、児玉の売国的な振る舞いに憤った若手俳優・前野光興(まえの・みつおき)が操縦するセスナ機が、等々力の児玉邸2階に突入。「天誅」を叫ぶ特攻自爆攻撃により豪邸は炎上しましたが、別室にいた児玉は奇跡的に軽傷で難を逃れました。
しかし、事件以前から脳梗塞を患っていた児玉の健康状態は急速に悪化。裁判の公判廷には病気療養を理由にほとんど出頭しないまま、臨床尋問が自宅で行われる異例の法廷劇が続きました。
1984年(昭和59年)1月17日、児玉誉士夫は心不全のため神奈川県大磯町の自宅で死去。死因は急性心不全(享年72)。ロッキード裁判の判決公判を迎えることのないまま、事件の真相と資金の完全な使途の多くを墓場まで持っていく形となりました。