インターネット上のレビューや掲示板では長年にわたり、「ブラッドハーレーの馬車は中世ヨーロッパの実話をベースにしている」「海外で実際にあった児童買春・虐殺事件の記録が元ネタ」という噂が実しやかに囁かれてきました。あまりの胸糞の悪さと制度設計の生々しさから、「生身の人間がゼロからこんな残酷な話を思いつくはずがない」という読者の防衛心理が働いた結果とも言えます。
しかし、結論から言えば本作のストーリーや「パスカの祭り」という制度は完全なフィクションであり、特定のモデルとなった単一の実在事件は存在しません。
それにもかかわらず、なぜこれほど強固な「実話説」が定着したのでしょうか。その背景には、作者である沙村広明氏の卓越した歴史的考証能力と、人類史が実際に辿ってきたダークサイドのエッセンスが絶妙に織り込まれている点が挙げられます。
- スケープゴート(人身御供)の歴史的構造:古代から近代に至るまで、社会集団の結束や反乱防止のために社会的弱者を「生贄」にしてきた共同体の暗部。
- 19世紀の孤児搾取と児童売買:産業革命期以降、身寄りのない子どもたちが労働力や性的搾取の対象として売買されていた救貧院・児童福祉の闇。
- パノプティコン型近代刑務所の管理合理主義:暴動鎮圧という治安目的のために、倫理を完全に排除して功利主義的に受刑者を管理しようとする冷徹な官僚機構の論理。
沙村氏はこれら歴史上の構造的暴力を巧みに接木し、息苦しいほどのリアリズムをもって架空の惨劇を再構成しました。架空の事件でありながら「かつての歴史のどこかで本当に起きていたのではないか」と錯覚させる緻密な筆力こそが、実話都市伝説を生み出した真因なのです。