松井石根は1878年(明治11年)、尾張徳川家の旧藩士の家庭に生まれました。陸軍幼年学校を経て陸軍士官学校を9期生として次席で卒業し、陸軍大学校も首席クラスの成績で修めたエリート軍人です。身長は155センチ前後、体重は50キロに満たない極めて小柄な体躯で、豪胆な武辺者というよりは、鋭い知性と清廉な気風を備えた学者肌の軍人として知られていました。
彼の軍歴における最大のアイデンティティは、一貫した「アジア主義」と「中国への深い共感」にありました。ロシアや欧米列強の圧迫に対抗するためには、日中両国が兄弟のように手を取り合わなければならないという信念を終生抱き続け、陸軍参謀本部第二部(情報)に配属されて以降は、長年にわたり中国畑を歩みました。孫文が主導した中国革命(辛亥革命)を現地で直接支援し、蒋介石とも緊密な個人的パイプを築いたことは当時の陸軍関係者の間でも広く記録されています。
1933年には「大亜細亜協会」の創設に尽力し、欧米の植民地支配からのアジア諸民族の解放と日中提携を公式に提唱しました。しかし皮肉にも、彼が夢見た「日中連携」の構想は、陸軍中堅・若手幕僚の強硬論や現地の武力衝突によって無残に打ち砕かれていきます。1935年に陸軍大将に昇進した松井は、二・二六事件後の軍内粛正のあおりを受けて一度は予備役に編入され、第一線を退いていました。