真田信之の生涯を語る上で欠かせないのが、徳川四天王の一人・本多忠勝の娘であり、徳川家康の養女として嫁いできた稲姫(小松姫/吉田羊)との関係です。『真田丸』では、武家の誇りを重んじる気丈な稲姫と、気弱に見えながらも芯の強い信之が、次第に強い信頼で結ばれていく様子が丁寧に描かれました。
史実における有名な逸話として、犬伏の別れの直後、上田城へ向かう途中の昌幸が「孫の顔を見たい」と信之の沼田城に立ち寄った際、留守を預かる小松姫が武装して城門を固め、「敵味方となった以上、義父上であっても城には入れられぬ」と追い返したエピソードがあります。昌幸はその武勇を「真田の血筋に相応しい名婦」と称賛したと伝えられています。
信之と稲姫の間には強い絆が存在し、稲姫が元和6年(1620年)に病のため旅先の武蔵国鴻巣で亡くなった際、信之は「我が家の宝を失った」と深い悲嘆に暮れた記録が残っています。妻の実家である徳川筆頭重臣・本多家とのパイプを最大限に活かしながら、信之は信濃松代藩13万石への転封を受け入れ、明治維新まで続く名門大名家の礎を強固に築き上げました。