では、明治天皇の「生身を直接写した実写写真」は歴史上に存在しないのでしょうか。答えは「初期の限られた数点のみ存在する」です。現存する確実な明治天皇の実物写真は、幕末から明治初期を代表する写真家・内田九一(うちだ くいち)が撮影した2つのセッション(1872年の束帯姿および直衣姿、1873年の洋装軍服・断髪姿)にほぼ集約されます。
1872年(明治5年)、西日本巡幸を控えた20歳の若き明治天皇は、伝統的な束帯(平安貴族の正装)を身に纏い、内田九一のカメラの前に立ちました。この時撮影された写真は、まだあどけなさを残す細身の青年の姿であり、お歯黒や眉墨の風習を残した伝統的な「帝王」の肖像でした。しかし翌1873年(明治6年)、断髪令を経て洋装化が進むと、天皇はみずから髷を落とし、西洋式の軍服に身を包んで再び内田のレンズの前に座ります。これが、歴史上唯一と言える「洋装姿の明治天皇の実物写真」となりました。
なぜ明治天皇は、20代前半のこの撮影を最後に、崩御するまでの約40年間、二度と公式の写真撮影に応じなかったのでしょうか。宮廷侍従たちの回想録(日野西資博『明治天皇の御日常』など)や歴史資料からは、主に以下の3つの理由が浮き彫りになっています。
- 長時間の露光による身体的苦痛:当時の湿板写真技術は、数秒から数十秒の間、首を固定金具(ヘッドレスト)で押さえられ、瞬きも許されない静止状態を強いられたため、強い屈辱と疲労感を覚えたこと。
- 霊魂を吸い取られるという当時の迷信と違和感:明治初期の写真に対する民間信仰的恐怖に加え、「自らの姿が紙片となって見知らぬ人々の手に渡り、値付けされる」ことへの根源的な拒絶感。
- 加齢や容貌の変化に対するプライベートな美意識:晩年に向けて肥満が進み、糖尿病などの持病に悩まされていた天皇が、自らの衰えゆく肉体を記録媒体として後世に残すことを潔しとしなかったこと。