このクォーター疑惑は、昨日今日に始まった話ではありません。原点は1980年代半ば、彼が芸能界へ足を踏み入れた瞬間にまで遡ります。
大学在学中の1985年、優勝賞品である車を目当てに応募した「集英社第3回ノンノボーイフレンド大賞」で見事優勝を果たした阿部寛は、翌1986年に創刊された男性ファッション誌『MEN'S NON-NO』の初代専属モデルに抜擢されました。創刊号から通算43回連続で表紙を飾り、ギネス級の記録を打ち立てた若い頃のモデル経歴において、当時のファッション業界関係者や読者からは「ヨーロッパ系の血が入っているのではないか」と真顔で噂されていたのです。
当時、180cmを超える日本人男性モデル自体が希少だった時代に、公称189cmのすらりとした手足と陰影の深い精悍なマスクは、あまりにも規格外でした。バブル期のメディアはこぞって彼を「日本人離れした美男子」として持て囃し、この頃に「ハーフあるいはクォーターに違いない」というパブリックイメージの土台が完成しました。
その疑惑を決定的な確信へと変えてしまったのが、2012年公開の大ヒット映画『テルマエ・ロマエ』です。古代ローマ帝国の浴場設計技師ルシウス役に抜擢された際、劇中で「平たい顔族(日本人)」と対比される本物の「古代ローマ人」を演じきりました。チネチッタ撮影所での現地ロケにおいて、現地のイタリア人俳優やエキストラたちと肩を並べても一切の違和感がなく、むしろ阿部寛のほうが彫りが深いと現地スタッフから絶賛されたエピソードは、日本中のお茶の間を爆笑と納得の渦に巻き込みました。この強烈なインパクトが、2026年代を超えて2026年の現在に至るまで「阿部寛=外国人ルーツ説」を再燃させ続ける強力な着火剤となっています。