北大路魯山人(本名・房次郎)の人間性や家族観を紐解く上で、避けて通れないのがその凄惨な生い立ちです。1883年(明治16年)、京都・上賀茂神社の社家である北大路清操の次男として生を受けましたが、出生前に父が自死。実母にも拒絶され、生後まもなく養子に出されることとなりました。
幼少期に転々とした養家は5〜6軒に及び、過酷な労働や虐待に近い環境を生き延びる中で、彼の鋭敏な味覚と美意識、そして極度の人間不信が醸成されていきました。この「無条件に愛された経験の欠落」は、生涯にわたる家庭形成の失敗へと影を落とします。
青年期以降、魯山人は確認されているだけでも計6回の結婚と離婚を繰り返しました。最初の妻であるタミをはじめ、次々と家庭を築いては自らの激しい気性と完璧主義によって破綻させています。複数の妻との間に子供をもうけたものの、家庭内での不和は絶えず、戸籍上の家族構成と家系図は極めて入り組んだものとなりました。