富山城の歴史と見どころ完全解剖!佐々成政の野望と浮城の真相

富山城の歴史と見どころ完全解剖!佐々成政の野望と浮城の真相

富山城の歴史と見どころ完全解剖!佐々成政の野望と浮城の真相にまつわる役立つ知識を分かりやすく発信ます。

富山城の起源は天文12年(1543年)頃、越中守護代神保長職が築城したことに遡ります。しかし、この城の名を全国区の歴史舞台へ押し上げたのは、織田信長配下の猛将・佐々成政(さっさなりまさ)でした。

本能寺の変後、羽柴秀吉(後の豊臣秀吉)と敵対した佐々成政は、厳冬の北アルプスを越えて徳川家康へ援軍を求めた伝説の「さらさら越え」を敢行。富山城を拠点に秀吉の大軍10万に包囲されながらも抗戦を試みたエピソードは、戦国史屈指の名場面として知られています。

成政の退陣後、城主となったのは加賀前田家2代当主の前田利長(まえだとしなが)です。利長は隠居城として富山城の大規模改修を行いましたが、慶長14年(1609年)の火災により高岡城へと移転。その後、寛永16年(1639年)に富山前田家初代藩主となった前田利次が入城し、明治維新まで約230年間にわたり越中富山藩10万石の城下町として繁栄しました。

富山城が別名「浮城(うきしろ)」と称された決定的な理由は、城の立地にあります。当時は暴れ川として知られた神通川が城のすぐ北側を蛇行して流れており、その豊かな水を引き込んだ広大な水堀が城を取り囲んでいました。川の増水時には、あたかも城が水面にぷかぷかと浮かんでいるように見えたことから、この異名が定着したと伝えられています。

井上 凛
著者

井上 凛

心身ともに健康で持続可能なライフスタイルをテーマに、最新のウェルネストレンドを発信中。