大学受験や高校日本史、資格試験において加藤高明内閣は超頻出テーマです。ここでは、試験で確実に得点するための記憶法と、政権誕生の起点となった「護憲三派」の成立経緯を整理します。
語呂合わせで覚える「1925年」の奇跡
加藤高明内閣の主要政策は、ほぼすべて1925年に集中しています。年号暗記の定番フレーズを抑えておけば、前後の因果関係が一気にクリアになります。
- 語呂合わせ①:「行(19)く都合(25)のいい飴と鞭(普通選挙法と治安維持法)」
- 語呂合わせ②:「行く事故(1925)防ぐ治安維持法と普通選挙」
- 語呂合わせ③:「行くにご(1925)るな日ソ国交」
「1925年に普選法、治安維持法、宇垣軍縮、日ソ基本条約の4つが起きた」という事実さえ頭に刻んでおけば、正誤問題や年代整序問題の多くを瞬時に解くことができます。
護憲三派内閣の成立理由と第二次護憲運動の真実
そもそも、なぜ憲政会の加藤高明が首相の座に就くことができたのでしょうか。その理由は、1924年に巻き起こった第二次護憲運動にあります。
1924年1月、特権貴族階級で固められた清浦奎吾内閣(貴族院中心の超然内閣)が誕生しました。この非政党内閣に対し、政党人たちは激しい怒りを表明します。「憲政の常道に反する」「民意を無視した特権階級の支配だ」として、以下の政党3派が手を組みました。
- 憲政会(総裁:加藤高明)
- 立憲政友会(総裁:高橋是清)
- 革新倶楽部(代表:犬養毅)
この三派が結託して「特権内閣の打倒・普通選挙の断行」をスローガンに掲げて闘った第15回総選挙において、護憲三派は全464議席中281議席を獲得する圧倒的な大勝利を収めました。清浦内閣は総辞職に追い込まれ、第一党となった憲政会の総裁・加藤高明が首相に推奏されたのです。これが護憲三派内閣の成立理由です。