推古天皇の摂政として国のかじ取りを担った聖徳太子。彼が掲げた理想の神髄は『十七条憲法』第一条の「以和為貴(和をもって貴しとなす)」に凝縮されている。当時の日本は、有力豪族同士の対立が絶えない混乱の時代だった。太子が求めた「和」とは、単なる妥協や平穏ではない。多様な立場や意見の対立を認めつつ、それを高次元で統合するダイナミックな社会倫理であった。
法隆寺の建立は、この政治理念を地上に可視化する一大プロジェクトだったと言える。異国の文化や最新技術を排斥することなく取り入れ、伝統的な神道の感性と融合させる。物部氏と蘇我氏の衝突という血生臭い現実を乗り越え、聖徳太子は仏教という新たな世界観をテコに、国家の新たな調和の姿を模索したのだった。