アメリカ風中華料理と本場中国の料理が決定的に異なる背景には、単なる味付けの好みの違いにとどまらない、150年以上にわたる過酷な移民史が存在します。そのルーツは1849年頃のカリフォルニア・ゴールドラッシュと、それに続く大陸横断鉄道の建設期に遡ります。一攫千金を夢見て広東省近郊から海を渡った中国人労働者たちは、過酷な労働環境の中で自炊を始めました。これがアメリカ大陸における中華料理の萌芽です。
大きな転換点となったのが、1882年に制定された「中国人排斥法(Chinese Exclusion Act)」でした。人種差別的な法制度によって鉱山や工場から締め出された中国人移民たちは、白人労働者と競合しにくい洗濯業や飲食業へと活路を見出すことを余儀なくされます。当時の移民史研究者の記録や手記によれば、飲食店を開業した料理人たちは「生き残るためには、白人客の舌に合わせるしかなかった」と口を揃えています。
当時のアメリカ人が好んだのは、たっぷりの砂糖、肉、揚げ物、そして馴染みのある野菜でした。本場広東料理の繊細な蒸し料理や苦瓜(ゴーヤ)、青菜などは敬遠されたため、手に入りやすいセロリや玉ねぎ、後にはブロッコリーが代用されました。さらに、料理の保存性を高め、ボリューム感を出すために油を多用し、甘みと酸味を際立たせた濃密な餡(グレービー)で全体を包み込む調理法が確立していったのです。つまり、アメリカ風中華料理の歴史と理由を紐解けば、そこには偏見や差別の中で生き抜くために編み出された、涙ぐましい知恵と適応戦略が刻まれています。
この時代を象徴する料理が「チャプスイ(Chop Suey)」です。チャプスイの歴史には諸説あり、1896年に清国の政治家・李鴻章が訪米した際に饗されたという説が有名ですが、実際にはサンフランシスコの料理人が閉店間際に余り物の野菜や肉を炒めて醤油ベースのタレでまとめたのが始まりとされています。これが全米で大ブームを巻き起こし、「中華料理=安くてボリュームがあり、親しみやすい炒め物」というイメージが全米に定着していきました。