安重根は1879年、朝鮮半島中西部の黄海道海州(ヘジュ)において、両班(貴族階級)の名家に生まれました。幼少期から漢学や弓術、馬術に優れ、激動の時代背景のなかで育ちます。1897年にはカトリックの洗礼を受け、洗礼名「トマス(多黙)」を授かりました。
当初の彼は武力闘争ではなく、教育を通じた国力養成を目指していました。私立学校を設立し、民衆の啓蒙活動や国家の債務を国民の寄付で返済しようとする「国債報償運動」に奔走します。しかし、日露戦争を経て1905年に第二次日韓協約(乙巳保護条約)が締結され、大韓帝国の外交権が剥奪されると、合法的な啓蒙運動の限界を痛感。活動の拠点をロシアの沿海州(ウラジオストク)へと移しました。
沿海州で安重根は義兵軍を組織し、指揮官として豆満江を越えて日本軍守備隊へのゲリラ戦を仕掛けます。しかし戦況は厳しく、部隊は壊滅的な打撃を受けました。1909年3月、彼は同志11人とともに左手薬指の第一関節を切り落とし、その血で太極旗に「大韓独立」と記す「断指同盟」を結成。祖国独立のために命を捨てる覚悟を固めたのです。