出家によって男女の肉体関係は完全に清算されましたが、二人の魂のつながりは途絶えることがありませんでした。寂聴は京都・嵯峨野に「寂庵」を結び、法話を通じて人々を救済する道へ進みましたが、光晴との文壇仲間としての交流は生涯にわたって続きました。
1989年、井上光晴は進行性の食道がんを宣告されます。自らの主宰する文学伝習所で精力的に後進を育成しながらも病魔に蝕まれていく光晴を、妻のふみ子とともに精神的に支え続けたのは寂聴でした。
1992年(平成4年)5月、光晴は66歳でこの世を去ります。寂聴は光晴の枕元に駆けつけ、僧侶としてその魂に引導を渡しました。かつて激しく愛し合い、憎み合い、髪を捨てるまでに至った男の最期を、正妻と並んで看取ったのです。
さらにふみ子が亡くなった際にも、寂聴は井上家の法要を自ら執り行いました。愛憎の濁流をくぐり抜けた三人は、最期には血縁を超えたひとつの「家族」のような崇高な連帯感で結ばれていたと言えます。