平安貴族たちを夢中にさせた競べ弓は、現在のスポーツ競技以上に細密かつ厳格なルールに基づいて執り行われていました。勝敗の判定はもちろん、射場への入退場や矢の番え方に至るまで、一切の乱れが許されない高度な心理戦が展開されたのです。
基本的な対戦形式は、参加者を「左陣(左方)」と「右陣(右方)」の2組に分ける団体戦です。射手は左右交互に立ち、定められた距離から的(まと)へ矢を放ちます。平安期の記録によると、主な競技規定は次のような枠組みで運用されていました。
・射距離と的の規格:一般的な賭弓や競べ弓では、的までの距離はおよそ17丈(約51メートル)から20丈(約60メートル)程度。現在の全日本弓道連盟が定める近的競技(28メートル)の倍近い距離であり、極めて高い弓力と正確な射法が要求されました。
・矢数と勝敗判定:射手1人につき4本(2手)または2本(1手)の矢を射る形式が一般的で、的中した本数の合計で勝敗を決定。同点の場合は代表者による「立ち合い(延長戦)」が行われました。
・勝罰の儀(負け方の罰杯):勝敗が決すると、勝者側には絹や馬、調度品などの豪華な恩賞(禄)が下賜される一方、敗者側には「罰杯」と呼ばれる大杯の酒を飲み干す過酷なペナルティが科され、座興としての狂騒を生み出しました。
驚くべきは、単なる的中率の高さだけでなく、射手の「立ち居振る舞いの優雅さ」や「動じない精神力」が貴族社会の評価基準となっていた点です。どれほど的中させても、所作が卑しく動揺を見せれば貴族としての格を落とすことになり、射手たちは極限の緊張感の中で平常心を保つ修練を強いられました。