順風満帆に見えた結婚生活でしたが、長男の誕生から間もない2002年〜2004年頃には、夫婦関係に決定的な亀裂が生じていました。孝太郎が自宅を出る形で別居生活がスタートし、その期間は実に約10年という異例の長さに及びました。
「片岡孝太郎 離婚理由」を巡っては様々な憶測が飛び交いましたが、報道各社の取材データや関係者の証言を総合すると、単一のトラブルではなく「梨園の妻という特殊な役割」と「家庭人としての現実」の深刻な不一致が根本原因でした。
歌舞伎役者の妻は、単なる配偶者にとどまりません。劇場のロビーでの贔屓筋(タニマチ)への挨拶、後援会への気配り、着物の手配、一門の弟子たちの世話など、休みなく続く無報酬の「裏方プロデューサー兼マネージャー業務」が求められます。特に松嶋屋という大名跡の直系ともなれば、そのプレッシャーは想像を絶するものです。一般家庭出身の妻にとって、伝統の重圧とプライベートが完全に消失する生活環境は、心身をすり減らすのに十分な過酷さでした。
さらに、愛息・千之助の養育方針を巡るすれ違いも影を落としました。伝統の世界で早くから芸道に専念させたい家側の意向と、現代的な一般教育も大切に受けさせたいとする母親の想いが交錯し、夫婦間の対話は次第に途絶えていったと伝えられています。