堤真一が挑んだ石神哲哉の役作りは、日本映画界でも類を見ないほどストイックなものでした。原作の持つ泥臭さと哀切を表現するため、堤は自らの外見を徹底的に壊す作業から着手しています。
映画ファンの間で今も語り草となっているのが、堤真一の髪型です。頭頂部のボリュームを抑え、白髪を自然に混ぜ込み、あえて髪の生え際を後退して見せる特殊なカット技術とスタイリングを採用。ネット上では「本当に髪が薄くなったのではないか」と錯覚する観客が続出したほどでした。さらに、常に首をすくめて歩く極端な前傾姿勢(猫背)を体に染み込ませ、肩幅の広さを隠すためにサイズの合わないくたびれたコートを羽織ることで、中年男性のリアルな生活感と疲燥を醸し出しました。
また、内面的なアプローチにおいても、堤真一は西谷弘監督と綿密なディスカッションを重ねました。数学のこと以外には一切の興味を持たず、生きる意味を見失っていた男が、隣人である花岡靖子母娘の明るさに触れた瞬間の「微かな救い」。堤はセリフの抑揚を極限まで抑え、感情を押し殺した平板な喋り方を徹底することで、後述する感情崩壊の爆発力を何倍にも増幅させる緻密な計算を行っていたのです。