本能寺の変の黒幕か?長宗我部元親の妻・得月院と明智光秀の衝撃の真相

本能寺の変の黒幕か?長宗我部元親の妻・得月院と明智光秀の衝撃の真相

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織田信長は当初、明智光秀を通じて元親に対し「四国の切り取り次第(実力での領地獲得)」を認め、長宗我部氏の四国平定を後押ししていました。しかし、元親が四国の大部分を手中に収めようとした天正8年(1580年)頃、信長は突如として方針を転換します。四国平定を中止し、三好氏に阿波や讃岐を譲るよう元親に迫ったのです。

元親がこれを拒絶すると、信長は三男・織田信孝を総大将とする大規模な四国征伐軍の派遣を決定。長宗我部家は絶体絶命の滅亡危機に直面します。この局面で最も苦境に立たされたのが、取次役の明智光秀と斎藤利三、そして元親の妻である得月院でした。

2014年に岡山県の林原美術館で発見された「石谷家文書」は、この歴史の舞台裏を生々しく証明しました。本能寺の変直前、元親が斎藤利三に宛てて「信長の命令に従い、甲冑を解いて恭順する用意がある」という趣旨の書状を送っていた事実が判明したのです。

しかし、書状が届いた時にはすでに信長の四国出陣計画は後戻りできない段階に達していました。妹(得月院)が嫁ぐ長宗我部家を救うため、そして面目を潰された明智家の立場を守るため、光秀と利三が決断した起死回生の策こそが天正10年(1582年)6月2日の「本能寺の変」であったという見解は、歴史研究の現場で極めて有力視されています。

斉藤 蓮
著者

斉藤 蓮

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