中村勘三郎の死因と闘病の真相|食道がん手術とArds急逝の全記録

中村勘三郎の死因と闘病の真相|食道がん手術とArds急逝の全記録

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病に倒れる直前まで、勘三郎の演劇的エネルギーは頂点に達していました。2010年末に特発性両側性感音難聴を発症して長期休養を余儀なくされたものの、2011年11月からは浅草・隅田公園特設劇場において平成中村座のロングラン公演を敢行。東日本大震災直後の日本を元気づけるように、半年以上にわたり渾身の舞台を勤め上げました。

中村勘三郎の最後の舞台となったのは、2012年5月27日の平成中村座『大詰め』。古典の傑作『髪結新三』や『め組の喧嘩』で江戸っ子の粋と熱気を見事に演じきり、鳴り止まないスタンディングオベーションの中で劇場を後にしました。そのわずか数週間後、人間ドックの検査結果が突きつけられることになります。

時期病状・医療措置の経緯入院先病院・担当機関医学的リスク・現場の状況2012年6月定期検診で早期食道がんが判明、休養公表がん研有明病院早期発見であり根治目的の手術を計画2012年7月27日約12時間に及ぶ食道がん摘出手術を実施がん研有明病院手術自体は成功、頸部・胸部・腹部の広範囲切除2012年8月中旬誤嚥性肺炎を発症、肺胞炎症が急速に悪化がん研有明病院 ICU呼吸不全が進行し、酸素化指数が急低下2012年9月〜11月ARDS併発により緊急転院、ECMO(人工肺)装着日本医科大学付属病院 ICU致死率50%近い最重篤状態、24時間集中管理2012年12月5日午前2時33分、呼吸不全により永眠(享年57歳)同上 高度救命救急センター家族が見守る中、131日間の闘病に幕

病状が悪化の一途をたどったため、主治医団はより高度な呼吸器集中治療設備を持つ日本医科大学付属病院(東京都文京区)への転院を決断。高度救命救急センターのICUにおいて、血液を体外に取り出して酸素を送り込む体外式膜型人工肺(ECMO/PCPS)を装着し、肺の回復を待つ過酷な治療が続けられました。

前田 葵
著者

前田 葵

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。