病に倒れる直前まで、勘三郎の演劇的エネルギーは頂点に達していました。2010年末に特発性両側性感音難聴を発症して長期休養を余儀なくされたものの、2011年11月からは浅草・隅田公園特設劇場において平成中村座のロングラン公演を敢行。東日本大震災直後の日本を元気づけるように、半年以上にわたり渾身の舞台を勤め上げました。
中村勘三郎の最後の舞台となったのは、2012年5月27日の平成中村座『大詰め』。古典の傑作『髪結新三』や『め組の喧嘩』で江戸っ子の粋と熱気を見事に演じきり、鳴り止まないスタンディングオベーションの中で劇場を後にしました。そのわずか数週間後、人間ドックの検査結果が突きつけられることになります。
病状が悪化の一途をたどったため、主治医団はより高度な呼吸器集中治療設備を持つ日本医科大学付属病院(東京都文京区)への転院を決断。高度救命救急センターのICUにおいて、血液を体外に取り出して酸素を送り込む体外式膜型人工肺(ECMO/PCPS)を装着し、肺の回復を待つ過酷な治療が続けられました。