1914年6月28日に発生したサラエボ事件において、ヴィルヘルム2世は同盟国オーストリアに対し「いかなる行動をとってもドイツは全面的に支持する」という無条件の確約、いわゆる「白紙小切手」を手渡しました。これがドミノ倒しのように各国の総動員令を引き起こし、第一次世界大戦勃発の決定打となります。
しかし、戦争が始まるとヴィルヘルム2世の脆弱な本性が露呈しました。開戦当初こそ華々しく軍を鼓舞したものの、西部戦線の塹壕戦による膠着と未曾有の消耗戦に直面すると精神的に動揺し、実質的な軍事指揮権をパウル・フォン・ヒンデンブルク参謀総長とエーリヒ・ルーデンドルフ参謀次長に奪われました。皇帝は事実上、軍事独裁体制における「お飾り」へと追いやられたのです。
1918年秋、長期にわたる経済封鎖による飢餓と戦局の悪化に耐えかねた国民と兵士の不満が爆発。11月3日、キール軍港の水兵反乱を皮切りにドイツ革命が勃発しました。ベルリンでは労働者や兵士による評議会(レーテ)が結成され、帝政打倒の機運は抑えきれない濁流となりました。
1918年11月9日、ベルリンの混乱を収拾するため、帝国宰相マックス・フォン・バーデンはヴィルヘルム2世の同意を得ないまま勝手に「皇帝退位」を公式発表。側近の将軍たちからも「軍はもはや陛下に従わない」と忠誠を拒絶されたヴィルヘルム2世は、プロイセン国王およびドイツ皇帝の地位を完全に喪失。11月10日未明、特別列車で中立国オランダへと脱出しました。