1997年(平成9年)の春から初夏にかけて、神戸市須磨区の住宅街で連続して発生した一連の凶行は、日常の平穏を一瞬にして恐怖へと塗り替えました。神戸連続児童殺傷事件の経緯を時系列で振り返ると、その凶暴性とエスカレーションの過程が克明に浮かび上がります。
発端となったのは同年2月10日、小学生女児2名がゴム製ハンマーで殴打され重傷を負った通り魔事件でした。続いて3月16日には、10歳の山下彩花ちゃんが金づちで頭部を殴打されて命を奪われ、同日別の女児も刃物で腹部を刺される重傷を負いました。この時点で地域社会には厳重な警戒態勢が敷かれていましたが、犯行はさらに凄惨な段階へと突入します。
同年5月24日、知的障害のあった小学4年生の土師淳くん(当時11歳)が行方不明となり、3日後の5月27日早朝、神戸市立友が丘中学校の正門前で遺体の一部が発見されました。その口元には「酒鬼薔薇聖斗」と記された犯行声明文が挟まれており、警察への挑戦状とも受け取れる異常な文言が社会を震撼させました。
警察は当初、遺体の損壊状況や犯行の周到さから「30〜40代の異常性格者」による犯行と推測し捜査を進めていました。しかし、遺留品や筆跡鑑定、周辺住民への聞き込みから浮上したのは、近隣に住む中学3年生の男子生徒でした。1997年6月28日、14歳の少年Aが殺人および死体遺棄の容疑で逮捕され、日本中が言葉を失う結末を迎えたのです。