Q1:平安時代の庶民の女性も、引眉やお歯黒をしていたのですか?
A1:庶民の女性は基本的に引眉もお歯黒もしていませんでした。眉を抜いて毎日墨で描く作業や、高価な鉄漿や五倍子粉、鉛白粉を調達することは、重労働に従事する庶民には経済的にも時間的にも不可能でした。これらの化粧は、徹底して働かずに済む特権階級(貴族層)だけが身につけられた身分標識でした。
Q2:『源氏物語』の中で、容姿が美しくないとされた女性はどのように描写されていますか?
A2:最も有名な例が「末摘花(すえつむはな)」です。光源氏が期待して対面した彼女の容姿は、「座高が高く胴長で痩せこけており、鼻の先が象のように長く垂れ下がり、その先が赤く色づいている」と克明に酷評されています。平安時代でも、極端に痩せた体型や、赤く目立つ鼻は明確に「醜い要素」と認識されていました。
Q3:なぜお歯黒の風習は明治時代まで続いたのですか?
A3:平安以降、お歯黒は武士階級の出陣の儀礼や、既婚女性の貞節の証として日本社会に深く定着しました。特に江戸時代には「結婚した女性の嗜み」として庶民にまで普及しました。明治時代に入り、政府の近代化政策の一環として明治3年(1870年)に貴族への禁止令が出され、さらに明治6年に昭憲皇太后がお歯黒をやめられたことを契機に、急速に衰退していきました。
Q4:平安時代の女性は、顔を洗わなかったというのは本当ですか?
A4:全身を入浴させる習慣は少なかったものの、洗顔自体は行われていました。米のとぎ汁(ゆする水)や小豆の粉(あずきこ)を使って顔を洗っていました。ただし、鉛を含む白粉を完全に落としきる洗顔技術やクレンジング剤は存在しなかったため、長年の化粧によって深刻な鉛中毒や肌荒れに苦しむ貴族女性も少なくありませんでした。