飛ぶ鳥を落とす勢いだった広末涼子を巡り、日本中が最も沸き立ち、同時にメディアの狂騒が極限に達したのが、1998年秋から1999年にかけての早稲田大学教育学部への自己推薦入試による進学騒動でした。
超多忙を極めるトップ女優が名門私立大学を受験したことに対し、当時の週刊誌やワイドショーは「芸能人の推薦枠利用」「学業との両立は可能なのか」といった批判的なトーンを含めて連日大々的に報道。1999年4月の入学式には姿を見せず、初登校となった同年6月26日のキャンパス周辺は、およそ100社・400人を超える報道陣と数千人の野次馬で埋め尽くされ、警察官や大学側の警備員が配備される前代未聞のパニック状態となりました。
当時の報道では「特別扱い」「登校拒否」といったセンセーショナルな見出しが躍りましたが、その裏側で本人が置かれていた状況は極めて過酷でした。自著『ヒロスエの思考地図』や後年のドキュメンタリーインタビューで明かされた証言によると、当時の彼女は分刻みのスケジュールで移動し、睡眠時間は連日2〜3時間。大学に通う意欲を強く持ちながらも、一歩外に出れば無数のカメラに追われ、講義を受けることすらままならない包囲網が敷かれていました。
「学びたい」という18歳の純粋な希望は、過熱するメディアビジネスの消費物として容赦なく解体されていきました。結果として2003年に女優業へ専念するため退学を選択することになりますが、当時の騒乱は、10代の若手タレントのプライバシー保護やメンタルケアという概念が希薄だった平成芸能界の構造的歪みを象徴する出来事でした。