ベートーヴェン『トルコ行進曲』の正体!モーツァルトとの違いと難易度

ベートーヴェン『トルコ行進曲』の正体!モーツァルトとの違いと難易度

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ベートーヴェンがなぜこの曲を書いたのかを理解するには、当時のヨーロッパ、とりわけオーストリア帝国の首都ウィーンを包んでいた歴史的空気感を知る必要があります。「トルコ行進曲 由来 オスマン帝国」というキーワードが示す通り、このスタイルの源流はオスマン帝国の精鋭部隊・イェニチェリが率いた軍楽隊「メフテル(Mehter)」にあります。

1683年の第2次ウィーン包囲をはじめ、長年にわたりヨーロッパを震撼させたオスマン帝国の軍楽隊は、大太鼓(ダヴル)、シンバル(ズィル)、トライアングル、そして金属鈴のついた杖(チェヴギャーン)を用い、重低音と金属音が轟く凄まじい音響で敵を威嚇しました。しかし戦争の脅威が去ると、その強烈な打楽器のリズムと独特の旋律は、恐怖の対象から一転してヨーロッパ人を熱狂させるファッショナブルな異国情緒へと変貌を遂げます。18世紀後半から19世紀初頭にかけて、ウィーンの宮廷や民衆の間で「アラ・トゥルカ(トルコ風)」の大ブームが巻き起こったのです。

そして1811年、ベートーヴェンに舞い込んだのが、劇作家アウグスト・フォン・コ策ツェブーの戯曲『アテネの廃墟 作品113』のための劇音楽の作曲依頼でした。この劇の筋書きは、オスマン帝国の支配下で廃墟と化した古代ギリシャの都市アテネを舞台に、知恵の女神ミネルヴァが目覚め、やがて芸術と学問の都がペスト(現在のブダペスト)に再興されるというプロパガンダ的な祝典劇でした。劇中でトルコの兵士たちが行進してくる場面で演奏されたのが、この『トルコ行進曲』だったのです。

興味深いことに、ベートーヴェンはこの行進曲の主題を『アテネの廃墟』のためにゼロから書き下ろしたわけではありません。それより2年前の1809年に発表したピアノ曲『創作主題による6つの変奏曲 作品76』の主旋律をほぼそのまま転用しています。自身のストックにあったお気に入りの行進曲モチーフを、大太鼓やシンバルが乱舞するド派手なオーケストレーションへと再構築したのが、私たちが現在耳にする原曲の姿なのです。

中村 さくら
著者

中村 さくら

エンタメ・カルチャー業界の深掘り取材を得意とし、現場のリアルな声をお伝えします。