語学ファンの間で長年熱心に語り継がれているトピックに、「ユネスコ(国際連合教育科学文化機関)が発表した世界で最も難しい言語トップ10」という言説があります。SNSや掲示板では「1位ギリシャ語、2位アラビア語、3位ミャンマー語……日本語は5位」といったリストが定期的に拡散され、議論を巻き起こしてきました。
しかし、当編集部がユネスコの公式公開文書アーカイブおよび国際言語学データベースを精査した結果、ユネスコが言語の難易度ランキングを作成・公表した事実は過去に一度も存在しないことが確認されています。パリのユネスコ本部が公表しているのは「危機に瀕する言語(消滅危機言語)」のレッドブックであり、優劣や難易度を競わせる格付けは行っていません。何者かが作成した根拠のないまとめ情報が、権威ある国際機関の名称を冠して一人歩きした典型的なネット都市伝説です。
一方で、客観的な形態論や音韻論の複雑さにおいて「世界記録」として名が挙がる言語も存在します。過去にギネス認定の最も複雑な言語として取り上げられた事例には、北米先住民が使用するチペワイアン語(Chipewyan)やハイダ語、さらにはロシア連邦ダゲスタン共和国などで話されるタブサラン語(Tabasaran)があります。
特にタブサラン語は、名詞が40から50種類以上もの異なる「格(case)」に変化することで知られ、文法学者の間でも「世界屈指の複雑さ」として語り草になってきました。また、アフリカ南部のコイサン諸語に見られる「吸気音(クリック音)」のように、喉や舌を特殊な形で打ち鳴らす数十種の発音を使い分ける言語など、構造そのものが極限まで発達した言語が地球上には確かに息づいています。