映画『狂気の桜』を語る上で避けて通れないのが、観る者の脳裏に焼き付いて離れない衝撃のラストシーンです。窪塚洋介が演じる主人公・山口進は、幼馴染の市川(須藤元気)、勝田(井浦新/旧芸名:ARATA)とともに、歪んだ社会を正すという名目で「ネオトージョー」を結成し、渋谷の街で暴力による独自の「浄化作戦」を繰り広げます。
しかし、彼らが信じた「純粋な国粋主義的ナショナリズム」は、裏で糸を引く青沼(原田芳雄)ら右翼系フィクサーや暴力団組織の利権争いに都合よく利用されていたに過ぎませんでした。市川の凄惨な死、勝田の離反と逮捕を経て、すべてを失った進は、単身で大物フィクサーの邸宅へと乗り込みます。
白い戦闘服を返り血で染め上げながら、システムそのものへ刃を向けた進が迎える最期は、単なる勧善懲悪の結末ではありません。ヒキタクニオによる原作小説『狂気の桜』が持つハードボイルドなリアリズムに対し、監督の薗田賢次と脚本の丸山昇一による映画版は、「純粋さを貫こうとした魂が、現実の巨大な濁流に呑まれて散る美学」を極限まで映像化しました。桜が満開の瞬間に散るように、自らの信条に殉じた進の姿は、観客に対して「お前は何を信じて生きているのか」という痛烈な問いを突きつけて幕を閉じます。